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★働き方を考える

医療従事者、なかでも医師は、激務とされる職種です。
自分で言うのも何ですが、激務と言えば激務なのでしょう。
でも、看護師やその他の職種でも激務と言えば激務です。

 

では、医師との違いは…!?
おそらくは、時間外勤務の時間の長さに尽きるのかもしれません。
一日を取ってみても、早朝から夜まで病院にいることは日常茶飯事。
祝祭日も朝は入院中の患者さんの様子を伺いに来ます。
診療科によっては、オンコールで呼び出されることもしばしば。

 

それでも、一昔前に比べたら、随分とよくなったものです。

<一昔前>
早朝(7時)から夜遅くまで(21〜23時)まで病院にいるのは当たり前。
土日祝祭日に出てくるのは当然。
夏休みや年末年始の完全休暇はなし。夏休みがあっても3日間。
年休は取ったことがありません。
結婚式後の休みは3日間(私の新婚旅行は2泊3日の国内旅行、スケジュールなし:苦笑)。

<現在>
朝早いですが8時前。ここ1年くらいの間に夕方には帰れるようになりました。
日曜祝祭日はグループの人員が交代で出ています。
夏休みは取ろうと思えば1週間は取れるし、年休も心置きなく取れます。
若い人たちは新婚旅行で10〜14日くらい休んでいます。

 

自分が若い頃は(いや、2〜3年前までは)、自宅でも仕事をしていました。
休日は、学会のスライド作成、あるいは、原稿執筆で追われていました。
あるいは、病院や教育関連業務の仕事。
日曜祝祭日も時間を問わず仕事関連のメール処理。
やってもやっても終わらない(苦笑)。
平日の日中は外来や病棟業務で追われているので、その他の仕事は必然的に週末へ。

 


【参照記事】
職場を離れても「常に仕事に取り巻かれている感じ」の正体
(2020.7.6 現代ビジネスオンライン)

 

「認知資本主義」

価値生産が非物質的な無形資産(知識、社会関係、ブランド価値、人的資本、組織能力など)に依拠していて、認知的な能力・過程の動員が焦点となるとあります。

 

あるプロジェクトを興すには、部署や企業の枠を超えて連携(コミュニケーションやネットワーク形成)を図らなければなりません。
その連携を図るために、相手を納得させた上に、その気にさせなければ、話が先へとは進みません。
そこには、コミュニケーションやプレゼンテーションのスキルとともに、情熱が必要となります。

 

「働く」ということが、肉体労働から、情報や知識のやりとりと加工、人間関係の形成、感情への働きかけといったコミュニケーションを主体とするものに変化してきたのです。

 

指示された業務をこなすだけではなく、課題を認知・提起し、自ら能動的・主体的に動き、解決策を立案し、新たな仕事を創り出す、といった「認知活動」が労働の中心となってきたのです。

 

すると、何が起こるのでしょうか。

労働時間と生活時間の区別、労働と人格の区別が、あやふやになっていく

という、まさにかつての私や同業者たちが陥っていた、労働スパイラルの世界へと導かれるのです。

 

それが当時の労働の「モデル」=あるべき姿だとみなされていた

というのは間違いありませんが、そのような事態が、今、「多様な働き方」という美辞麗句のもと、知的労働者の界隈に訪れているのだというのです。

 

その最たるものが、テレワークなのでしょう。
在宅勤務というのは、仕事場と自宅(日常生活)の区切りが曖昧になる、ということです。
すなわち、労働時間というのが、とても曖昧になるのです。
考えてみれば、働いている時間に、子どもが仕事場に乱入してきたり、子供の送迎に出かけたりすることもあるのです。

 

どこからどこまでが労働時間で、どこからどこまでが自分の時間なのか。
それが曖昧であるがゆえに、管理する側も管理される側も、自己管理というのが求められるわけです。
でも、それをきちんと管理できるだけの強靱な心を持ち得る人間っているのでしょうか。
1日とか1週間とかそれができたとして、それをずっと続けていくことが可能なのでしょうか。
おそらく、普通の人間であれば、どこかで歯車が狂い、心身のバランスを乱すことになるはずです。

 


私の結論です。
やはり、労働と日常は分けるべき。
そして、少なくとも、週に1日は完全休養日を設けるべき。
それができてこそ、仕事の効率が高まるはずだし、生活の質も上がるはずです。

 

 

最後に。
新型コロナウイルス感染症は、私たちの「日常」を様変わりさせました。
ウイズ・コロナ、ポスト・コロナがどうなっていくのかはまだ先行き不透明です。
でも、少なくとも、プレ・コロナの時代には戻れない、ということは間違いなさそうです。
そういう時代だからこそ、私たちは自分の働き方について、考えるときが来ているのだと思います。

 

docshin * 色即是空 * 23:59 * comments(0) * - * 昨年の記事

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