「ヒト消費」は若い人たちの価値観の反映
若者のお金の使い方が変化しているのだそうです。
それは身近に感じていたことではありますが…。
【参照記事】
日本の若者たち、「コト消費」から「ヒト消費」に激変していた…!
(2019.12.29 現代ビジネスオンライン)
どうやって若手を会合に集めるか、という問題。
そもそも、その問題設定自体が間違っている気がしています。
若い人たちは、「本人が参加する気になる会合」にしか参加しません。
つまり、強制力や義務で参加"しなければならない”ところには行きません。
当たり前といえば当たり前ですが…。
一昔前までは、"お付き合い"で"渋々"参加したと思います。
でも、もう、そんな時代ではないのです。
本音でものを言う若者です。
そして、そんな行きたくもない会合へお金を払う余裕がないのです。
これは、事実として受け止めなければなりません。
じゃ、上司が驕るから参加してほしい、というのもなし。
上司と一緒にいたくないから参加しないのであって…(苦笑)。
うちの職場でも毎年新年会が開催されますが、何年も前から私は反対論者。
この会を楽しんでいるのは、年齢が50才を過ぎた人たちだけだから。
若者はほとんどいないです。
参加をほぼ義務づけられているような感じの事務員たちがいて…。
理事長は参加するようにとハッパをかけていますが、若者の心理を理解できていません。
彼らは、「いっしょにいて楽しい」あるいは「自分の話を親身になって聞いてくれる」人と飲食をともにしたいのです。
決して、上司の自慢話や説教を聞きたいのではないのです。
(これは当然ですよね。自分が若い頃のことを思い出しても同じです。)
上司や先輩との食事会や飲み会で勉強になることもある、というのは過去の話です。
「いっしょにいて楽しい」と思えたら、その人との飲食には時間とお金を投入します。
彼らは、自分たちの価値観に沿うかどうかで、自分の行動を決定しています。
その価値がある、と判断したところにだけ、時間と金が投資されるのです。
若いひとたちの価値観や行動様式を無理矢理変えようとしてもダメです。
上の人たちも、自分たちが若かったころのことを思い出したらいいのに。
30年前に戻れば、若い人たちの考え方に同調できるところがたくさんあるはずです。
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