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自由」と「教育」

モンテッソーリとかシュタイナーとか。
子どもの教育理論で有名な人たちです。
キーワードは「自由」。
自由、とは何でしょうか。

【参照記事】
モンテッソーリとシュタイナーから学ぶ、教育における「自由」とは?
(2019.06.13 現代ビジネスオンライン)

 

かつて米国滞在時、そして帰国してからも、モンテッソーリ方式の教育を実践しているところに子供を活かせていました。
ただ、本当のモンテッソーリ教育だったのかどうか、今ではちょっと疑問がありますが。

 

子供が何かしらの発言や行動をするのには何かしら理由がある(はず)。
モンテッソーリはそう考えたのでした。

 

偏見、差別、上から目線、決めつけ。
今でも当てはまるようなものばかり。

 

モンテッソーリは、「自由」を「援助なしに行動ができること」と定義しました。
「ひとりでできるように手伝う」
「すべての不必要な援助は、発達の障害物になる」

 

つまり、子どもを管理し教えこむ教育スタイルではなく、教師が子どもに与える影響を最小限に減らした教育を実践したのです。

 

余計なことをしているようにみえる子どもの言動のなかにこそ、のちにどんなに大きな実を結ぶかわからない可能性が秘められている。

 

これは、基本的に私も同意します。
その可能性に気づき、信じ、はげますことができるかどうか。
それが子どもの才能と個性を解放する鍵であり、教育の本質である、と。

 

おそらく、自分自身が比較的「自由」に行動してきたこと、もっと多くの「自由」を求めて飛び出したことが影響しているのだと思います。

 

若手には「自由」を与えたい。
それが私の教育に対する基本姿勢です。
周囲が何やかんや言っても、本人に説教をすることはありません。
そのうち(何年かかったとしても)、自分自身で何かしら気づくものです。

 

「自由」の中で気づくことが絶対にあります。
好き勝手にすることが自由ではありません。
欲しいものを手に入れることが自由ではありません。
「本当の自由」は、自分自身で見つけるしかないのです。

 

いろいろな考え方や価値観を持った人とのふれあいの中で、何を思い、感じ、そして、思うのか。
自分がそれまでに抱いていた考えや価値観が崩されるかもしれません。
それでいいと思っています。
子どもの頃から抱いていた固定観念だとか、自分の嫌いなところだとか欠点だとか思いこんでいたこととか。
そういうものから解放される。そういう自由を味わう。
そういう人間であってほしいと思います。

今日初めて知りましたが、それがシュナイター教育の一つのようです。

 

自由。
よい響きです。
自由と責任を無理に結びつけるといいことはありません。
「本当の自由」の中で、人は本当の責任を、自分自身の責任を、みつけていくものです。
余計なお節介や説教や介入は必要ありません。

 

docshin * 色即是空 * 23:59 * comments(0) * trackbacks(0) * 昨年の記事

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